読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

  66歳 日の記し /          ☆。(´・ω・`)/ 。゜★・ ☆彡

社会の底辺で生きて来て55歳で世間と断絶を決心してから独りです。寂しいのでブログを始めました。思うことなどを書きます……仏教を生きる指針にしているのでそれも。リンクを貼らせていただくサイトの方には感謝しています。m(_ _)m

吉野弘「現代詩入門」を読む 5

【発端から完結まで】

で、吉野弘は、母親の死を書いた詩の、着想を得た時から完成までの道のりを語っています。

 まずメモ書きの「手」から始まります。

息を引きとった母の、両手が

胸の上で組み合わされていた

その手は、生きている者の誰とも、もはや

手をつなぐことができないのだということを

            ――(略)――

  一ヵ月後に……詩の注文を受けて

息を引きとった母の

胸の上に

両手が組み合わされていた

四十年も前の

ある夏の朝───

           ――(略)――

が、第二作。

母の死んだ日を特に強調する必要があるかどうか、気になり、また、手の組み合わされたことの意味を〈今日、不意にわかる〉と書いたことにも押し付けがましさを感じて、しっくりしなかった。さらに、死者の手を握るのは死者自身の手だけだという箇所にも、もう少し意味の含蓄を加えたいという気もした。

……両手を組んだ死者も、他と結ばれる可能性を失った、閉じた円環といえる。そこに私は言いようのない淋しさと惨酷さを感じたが、そういうイメージがとらえきれなかった。

〈無力を両手の間に満たして〉という言葉を挿入した。

 ところが、仕事先に出向く電車の中で、〈無力を両手の間に満たして〉が気になり出した。「無力」と言い切れるかどうか不安になったのである。死者に「無力」などということがあるだろうかと思ったわけだ。

……

〈温もりに見まがう無力を手のひらのくぼみに満たして〉

という言葉を思いついた。

……

……清書をしているうちに、この語句を、この詩の初めのところで使ったほうが効果があるのではないかという気持が働きはじめた。……

 しかし、これが、なぜかうまくいかない。

第三作は、こうである。題を「手」から「母」に改めた。

    「母」

…………

……

……

死者の手を取るのは

死者自身の、もう一方の手だけだということ

組んだ両手のくぼみに

温もりと見まがう無力を満たして

旅立つほかないのだということ

 投函してホッとした。午後は所用で外出した。さて、帰宅して、この控えを眺めたが、いけないと思った。まだ、母の死の「時」にこだわっており、しかも〈不意にわかる〉という、作者自身の意味づけが目立っている。……

 第四作である。

……

……

……

死者の手を取ることができるのは

死者自身の、もう一方の手だけだった

組み合わされた両の手は

そのくぼみに

温もりと身がまうものを

力なくかこっていた

……

依然として、母の死んだ時にこだわり、組み合わされた両手の指の意味を「納得させられていた」。

…………

……

気負いを抜き、単純に〈もはや、手を取り合うすべがなかった〉と改めた。やっと自分のペースをつかんだと思った。

第五作は次のようになった。

……

……

……

あの手は

生き残っている誰とも

もはや、手を取り合うすべがなかった

死者の手を取っているのは

死者自身の手だった

組み合わされた両の手は

……

……

 〈無力〉という言葉が消えた。母の胸に、あまり強くないスポットライトをあてた。〈死者自身の、もう一方の手〉を〈死者自身の手〉に、〈旅立つほかない〉を〈旅立った〉とし、力を抜いた。

 

 …………………………………………………………………………………………………………………………………

  語句を何度も選び直し、詩の言葉にしてゆく、その努力はすさまじいものがあります。

 イメージにあう言葉を探し出し、ぴったりとこないものは捨て、作りなおす。

 詩人という生き方を選んだからでしょうが、その粘り強さに敬服します。

 ひとつの詩の、そのモチーフから→完成までの過程が、手に取るようにわかるのは貴重な体験でした。

 

 これで「現代詩入門」を読むのは終わりにします。明日からは同じ吉野弘の「詩の楽しみ───作詩教室」を読みます。