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  66歳 日の記し /          ☆。(´・ω・`)/ 。゜★・ ☆彡

社会の底辺で生きて来て55歳で世間と断絶を決心してから独りです。寂しいのでブログを始めました。思うことなどを書きます……仏教を生きる指針にしているのでそれも。リンクを貼らせていただくサイトの方には感謝しています。m(_ _)m

吉野弘「現代詩入門」を読む 3

 おはようございます。

【  】は本の章タイトルですが、━━━以下は、ぼくが勝手につけたサブタイトルです。

 

 つくづく吉野弘さんはヒューマニストなんだ、って思います。ちょっと優等生的なヒューマニストなんだなあ、と。

 それに比べて、世の中の落ちこぼれのぼくは、ひねくれているからなあ。ついていけるのか……

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【ぶつかる】━━━気づくということ

 吉野さんがテレビを見ていて思ったこと。目の不自由な娘さんが、司会の人に「一人っきりの通勤は、大変でしょう」といわれた時、「まわりのものにぶつかりながら歩いてまいりますから、なんとか……」と答えて……「ぶつかりながら……ですか?」と聞き返されて、「ええ、ぶつかるものがあると、かえって安心なのです」と、いっているのを見た。P43

この「ぶつかる」ということが、目の不自由な娘さんにとっては、見えない世界と親しい接触を保ち、絶えず結ばれてゆくための不可欠の条件だったことを教えられて、私は強い衝撃を受けました。「ぶつかる」ことの必要な人々がいることへの驚き。

 ……

ぶつかることで世界や他人とのふれあいを意味あるものとして意識するなどということは、目の見える人の間に、まず皆無でしょう。

P44

娘さんは、無愛想な人のとげとげした心に、手をふれ、それらを孤立から解放しやさしく結び合わせながら過ぎてゆくように思えます。

 事を美化しすぎているように思う人もいるでしょう。幾分、その気味がないこともありませんが、目の不自由な人が、周囲の事物や人に「ぶつかる」ことを通じて世界を所有してゆく、その所有術には、目の見える私たちを震撼させる力があります。

……

その後長い間、詩に書こうとしては失敗しつづけ、又、詩に書こうとすることの不遜さが思われるのでした。

 しかし私は、目の見えない人に同情するということではなく、目の見えない人が、見えない世界の事物を所有する意志、いや、所有せざるを得ない意志を、なんとか詩にしようと思ったのです。

 

 

   動詞「ぶつかる」

 

ある朝

テレビの画面に

映し出された一人の娘さん

日本で最初の盲人電話交換手

         (一連)

  詩は13連、64行の長いものですが……吉野さんはこう構成されています。

4連までを━━━テレビで見聞きした実際のこと

その目は

外界を吸収できず

……

司会者が 通勤ぶりを紹介した

……

「朝夕の通勤は大変でしょう」

 

彼女が答えた

「ええ、大変は大変ですけれど

あっちこっちに ぶつかりながら歩きますから、

なんとか……」

「ぶつかりながら……ですか?」と司会者

……

……

 

 5連━━━自分は人や物を避けるべきものとして

目の見える私は

ぶつからずに歩く

人や物を

避けるべき障害として 

 

6~9連 ━━━彼女が歩く様子を想像して……描く

盲人の彼女は

ぶつかりながら歩く

ぶつかってくる人や物を

世界から差しのべられる荒っぽい好意として

……

……

火打ち石のように爽やかに発火しながら

歩いてゆく彼女

 

10~12連 ━━━自省……「ぶつかる」意味

人と物の間を

しめったマッチ棒みたいに

……

……

 

13~14連 ━━━彼女の存在。物たちとの交歓。

動詞「ぶつかる」が

そこに いた

……

……

物たちが ひしめいていた

彼女の目配せ一つですぐにも唄い出しそうな

したしい聖歌隊のように

 

…………………………………………………………………………………………………………………………………

 詩をこんなふうに分解してしまって、すみません。

 どうか、元の詩をちゃんと読んで下さい。

 すごく共感できる詩、ですし、わかりやすい。

 

 それが吉野弘の魅力だと思います。