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  66歳 日の記し /          ☆。(´・ω・`)/ 。゜★・ ☆彡

社会の底辺で生きて来て55歳で世間と断絶を決心してから独りです。寂しいのでブログを始めました。思うことなどを書きます……仏教を生きる指針にしているのでそれも。リンクを貼らせていただくサイトの方には感謝しています。m(_ _)m

「彼岸の詩学」を読む 2

 おはようございます。

 ここで著者の中村不二夫さんの詩の朗読が聞けます。

 

3

「列島」の芸術性が、どうして最良の運動としてその後に継承されなかったのか━━━

  •  私自身の考えを言えば、社会性を内包していない芸術性の在り方がまず信用できない。
  • アラゴンの抵抗詩で登場した安東次男が、しだいに主知的になるにつれ、社会性を欠いた芸術至上主義へ向かった……
  • 芸術至上主義とは政治意識と芸術性の統一的止揚を放棄してしまうことを意味する。

4

「列島」解体以降、現代詩は社会性を希薄化したところで芸術性の勝利を主張した。

  • 60年代に「凶区」「暴徒」「バッテン」という詩誌が生まれた。影響を与えたのは「荒地」だった。
  • 内面的なイメージや概念の拡張。日常の意味や理論から、いかに言葉が自由になるか。
  • そして、じっさい、言葉の自由は確立された。

 著者はここで谷川俊太郎の詩論集「世界へ」(1959)を引用している。

「私は詩人に、人々に媚びよといっているのではない。それはむしろ逆なのだ。現代にこそ詩人は最も必要なのである。我々はあくまで詩人としての誇りを捨ててはならない。そしてそれ故にこそ私は、我々があくまで詩人として人々に対しなければならぬということを主張したい。詩人が人々に供給すべきものは、感動である。それは必ずしも深い思想や、明確な世界観や、鋭い社会分析を必要としない。むしろかえって、それらが詩人を不必要にえらぶらせ、そのため詩の感動を失わせることが少なくない。詩人は感動によって詩を生み、感動によって人々とむすばれて詩人になるのである。」

  •  高邁な論理を説くより、詩人は内なる感動を優先すべしということがいわれている。
  • 「脱戦後詩」という影響を与えてしまった。
  • 思想や世界観や、社会への鋭い分析は、捨てられている。
  • 谷川の感動という概念がもたらすものは、感動を受け入れる擬似大衆を想定したものでしかない。
  • 以降、詩は、芸術至上主義=言語芸術を美的に追求するものになった。
  • 芸術性とは、自己の殻に閉じこもることでなく、社会に開放していくものでないのか。

 以上、【戦後芸術詩の系譜━━━「列島」の芸術的方法】をまとめてみました。

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 著者は「列島」の詩論を全面的に支持しているようですが、それで他のグループを批判するのには、すこし、理由として弱いようです。

「詩は社会性と芸術性の統一」という詩論を絶対化しているようです。

 

 ぼくらは詩をよむ時に、社会性が描かれているから読むわけではありませんし、なにかの思想を表現しているから、いいのだ、と思って読むわけでもない。このエッセイではあまりにも、正しい建前にこだわり過ぎのようです。

 いろんな詩の書き方があっていいし、どんな詩が人々に選ばれてもいい。

 むしろ、人々=大衆に読まれない詩を書いていることが問題なのでないかと思えます。読者がいなくても、芸術だからいいのだ、ということでは寂しいし、読んでくれないのは人々が、言語遊戯的詩(正しくない詩)を好むからだ、と詩人主体の上から目線でいうのも、寂しい。

 

 次の章は【戦後詩的〈喩〉の意味】なので、期待しています。現代詩が、難解になり、多くのひとが読まなくなった理由がわかるでしょうか。

 また、明日。