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  66歳 日の記し /          ☆。(´・ω・`)/ 。゜★・ ☆彡

社会の底辺で生きて来て55歳で世間と断絶を決心してから独りです。寂しいのでブログを始めました。思うことなどを書きます……仏教を生きる指針にしているのでそれも。リンクを貼らせていただくサイトの方には感謝しています。m(_ _)m

鮎川信夫「現代詩作法」を読む

 おはようございます。

 昨日、「現代詩の分析」を読んでいて、やっぱり古いなあ、時代が……、という思いを深くしました。63年前に書かれたんですもんね。

 ひとつの本が書かれるには、その時代、状況の影響があると思います。その時代のなかでその本が書かれなければならなかった理由もあるだろうし、意味もあるだろう。

1955年に書かれた「現代詩作法」を読むのですが、この本が書かれた時代状況は、この全集の解説によれば、こうです。

  • 北川冬彦の「荒地」批判───反論
  • 関根弘野間宏の「狼が来た」論争
  • 詩人の社会的責任を巡る論議
  • 「現代詩とは何か」(鮎川信夫)「抵抗詩論」(安東次男)「原点が存在する」(谷川雁)が出版された時期

 また「現代詩作法」については

  • 従来の詩や詩論を批判している。
  1. 西脇順三郎───すぐれた知力はあるが、人間に対する理解力とか同情心を持たないため人間的事象をとおりぬけてしまう。
  2. 萩原朔太郎───病的要素や幻覚性が、普遍的なものでないため、その幻想からさめると無意味なものになる。
  • 「意味」や「経験」を回復しようとする「荒地」派の主義、主張が反映されている。
  • 「いかなる時代も、それぞれの時代にふさわしい詩の表現様式を持っています」という同時代性
  • 「詩において新しい言葉の秩序をつくり出すということは、新しい経験を啓示することに他なりません。ここに『素材』と『方法』、『経験』と『技術』の微妙な一致点があり、詩においてこれを別個にきりはなすことができない理由があります」という「経験」の重視、作品に内在するバランス。
  • 「隠喩自体が詩の価値を支えている」という隠喩表現への高い評価。

  1. 北川透は「荒地論───戦後詩の生成と変容」(1983)において、「比喩が意味論の文脈でしか、解かれなかったところに、荒地派の、いわばモダニズム批判が不可避にした論理的な偏向がある」と意味への偏向を指摘した。
  2. 菅谷規矩雄は、「詩とメタファ」(1983)において、北川の指摘を受け止めつつ、「意味論の文脈でしか解かれていない」というのは、イメージもこの「文脈」に含ませていたからでないか……荒地派が「意味のないイメージ」の羅列に終わってはならないする「偏向」ゆえだった……「意味」を強調したことの真意は、なによりも「意味のあるイメージ」への欲求ゆえではなかったか、と述べている。

  • 隠喩重視と意味への偏向、は荒地派の特質。
  • 「……しかもこの『隠喩=特殊な世界への情熱』が『偽りの信念や間違った観察』に基づけば、たやすく『別の悪い意味』も『より一段と低いもの』に陥る危険性があることも警告している。つまり『隠喩』や『意味』の偏重といえども、その根底を支えているのは確かな『信念』や『観察』あ培う『現代意識』にほかならない」

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「現代詩作法」をメモを取りながら読んでいたのですが、まとめるのはその労力に比べて、ぼくには意味が無いと思えたのです。

「いかに共感してもらえる詩が書けるのか、方法を探す」という問題意識で本を読んでいるのですから、ただ、まとめて理解し学ぶというやり方でいくと、いつも勉強途上です。詩をわかる、のでなく、じっさいに書く方法を! 見つけたいということからすれば、すこしでも「書く」ときに、ヒントになる言葉とか、方法とかを見つけ出し、それを箇条書きにして残す、というのがいいだろうと思うのです。

 

「解説」は読むべきポイントを取り上げ、要領よくまとめた文章でした。

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 西脇順三郎の「超現実主義詩論」

「人間の存在の現実それ自身はつまらない。この根本的あ偉大なつまらなさを感ずることが、詩的動機である。詩とはこのつまらない現実を一種独特の興味(不思議な快感)をもって意識さす一つの方法である。俗にこれを芸術という。

 習慣は現実に対する意識力をにぶらす。伝統のために意識力が冬眠状態に入る。故に現実がつまらなくなるのである。習慣を破ることは現実を面白くすることになる。意識力が新鮮になるからである。しかし注意すべきことは習慣伝統を破るために破るのでなく、詩的表現のために、換言すれば詩の目的として、つまらない現実を面白くするために破るのである。実際に習慣伝統を破るならばそれは詩でない、倫理であり哲学である」

 これに対して、鮎川は「習慣伝統を破ると言っても、それは『詩的表現の習慣や伝統』を指しているのであって、詩作法のうえから言えば、単に通常化した観念の連結を排斥して『最も異なる種類の観念を暴力をもって結合する』ことを奨励しているにすぎないのです」と批判している。

 

 

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「日本の抒情詩」や「詩の見方」には、多くの詩人の詩が紹介されています。そして、詩の歴史性や詩の同時代性によって、俯瞰されています。

 それぞれの詩の分析、解説が、荒地派がよって立つ、戦後詩の「経験と意味」の視点でなされています。

 

 詩は普遍性を持ち、多数の読者のものであると同時に、個人の好みで読まれるものです。好きな詩と詩人の世界に自分で、迷い込んでいく森のようなものなのでしょう。

 

 鮎川信夫全集を読む、のは、これで終わりにします。とにかく文章の量が多くて、自分の印象に残った言葉をメモするのにも時間がかかりました。当時の荒地派の考えはよくわかりましたが、すでに60年も経っているので、古い感覚かも、というのが素直な印象です。

 

 では、また、明日に。