読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

  66歳 日の記し /          ☆。(´・ω・`)/ 。゜★・ ☆彡

社会の底辺で生きて来て55歳で世間と断絶を決心してから独りです。寂しいのでブログを始めました。思うことなどを書きます……仏教を生きる指針にしているのでそれも。リンクを貼らせていただくサイトの方には感謝しています。m(_ _)m

「詩の作り方」を読む 3

 「私の詩」の章 まとめ

 

【はかない原型(私のアンソロジー)】

 ここで最初に、黒田三郎はこういうふうに吐露しています。

「一般的な形で、詩を教えたり、教わったりすることが可能かどうか、僕は疑問を感じています。だれかに、彼のつくった一編の詩についてくわしく検討してあげることは可能だし、また有意義だと思います。もし、必要なら、お互いに論じ合ってもいいことです。しかし、あらゆるひとに役に立つように、何か一般的なことを言ってみても、それがはたしてどれだけ聞く人の役に立つか、僕は心もとなく思います。鍵はただ、それを聞く人の役立てようという努力にかかっているからです」

 これは正しいでしょうね。たぶん、詩の作り方は、自分でわかったと思うことがないと、わからないものだと思います。ですから、このブログでは、ああでもない、こうでもないか……と、迷いながら、ヒントを探しまくっているのですけれど。

……………………………………………………………………………………………………………………………………………

  黒田三郎は、自分が詩に出会った歴史から語ります。旧制高等学校に入ってから「西脇順三郎春山行夫の詩論の虜になった」といいます。「詩と詩論」のメンバーたちの詩を読み始める───時代は日中戦争、昭和10年代のことです。「四季」「コギト」「日本浪蔓派」……日本にモダニズムの芸術観が輸入され流行った時代。

  戦前にはいろんな思想が入ってきて、いろんな潮流が生まれました。

 黒田三郎の衝撃を与えたのは、安西冬衛の「春」だったようです。三好達治丸山薫……そしてボードレール。青春を輝かせようとしたもの……そして、戦争に行かねばならなかった暗い時代───

 黒田三郎の詩人としての歩みには他の本や文章に詳しいものがありそうです。ここでは彼が好きだったという詩人の名前があげられています。

 

【見ている目(私の作詩法)】 

 まとめ───

●E・A・ポーが「大鴉」の作詩過程を書いたものがある。

●オズボーンの「創造力を伸ばせ」でのアイデアを作り出す過程は参考になる。

 方針の決定───問題を指摘

 準備───適当な資料を集める

 分析───関連事項の分析

 アイデアを作り出す───多くの考えを出す

 あたため───ひらめきの起こるのを待つ

 総合───部分を集める

 評価───できたものを評価する

●チェックリスト

 22章 借りられないか、変えられないか、取り替えられないか

 23章 加えたら、掛けたら、引いたら、割ったら

 24章 入れ替えたら、逆にしたら、結び合わせたら

「自問についてのまとめ」がある。

 他に利用できないか、現在のままで新しい使いみちはないか

 大きくまたは多くしたらどうか、なにか加えたらどうか、もっと時間をかけたら、回数を多くしたら、もっと強くしたら、もっと長くしたら、

 小さくしたらどうか、何か減らしたら、もっと小さくしたら、もっと濃縮したら、

 代用したらどうか、だれかほかの人にやらせたら、なにかほかのものにしたら、

 入れ替えたらどうか、構成分子を入れ替えたら、

 反対にしたらどうか、積極と消極とを変えたら、反対にしたら、後向きにしたら、逆さまにしたら、

 「これを、新製品の開発にではなく、詩について考えるとよい」と黒田三郎はいいます。

●作者は───詩を描いた意図については語ることができるが、それが十分反映されているかどうかについてはわからない。良い読者ではない。

 作者の自作解説をうのみにしたり、作者の生活からその作品を解釈することには反対。

「作品の直接の動機になったものは、作者の日常生活に密着したものが多いでしょう。しかし、経験の重なり合いで、そのとき、10年前、20年前の記憶がいきいきとよみがえるというようなこともあります。ある瞬間に過去の体験のもっている意味が、さあっといっぺんによみがえる、というようなことも、ありうることです」

 

      

       「見ている目」

  朝から晩まで

  目は見ているのであった

  人波を

  人波のなかのひとりひとりを

  髪を

  うなじを

         ――(略)――  

 

 ●当時、メタファの、単語と単語の結合の衝撃を意図した詩が流行っていた。かえって、詩が平坦になる傾向があったので、むしろ、行と行との対比対照、連と連との対比という考えをとっていた。

「メタファについて言いますと――(略)――昭和15,16年ごろ僕が考えていたことは、単語と単語との珍奇な結合ということより、むしろ考え方と考え方の予想外な結合ということだったと思います」

 

「また、ことばのリズムということになりますと、作詩の過程で、いつも僕は口のなかで自分の詩をよみあげながら、『どうも、うまくないなあ』とくりかえし、そのうまくないところが消えるまで、しんぼうするところがあります」

   紙風船

 落ちて来たら

 今度は

 もっと高く

 もっともっと高く

    ――(略)――

「『紙風船』の場合、僕が苦心したのは、やはり『もっともっと高く』というくりかえしや、最後の『美しい 願いごとのように』というところだったでしょう」

 

「散文と違って、詩では、前後を入れ替えるだけで、その詩が生きるかどうかの違いが出てくると思います。単なる入れ替えにすぎないように思われるかもしれませんが、結果には革命的な変化があると思います」

 

 もう少し書きたいのですが、長くなりますので、続きは明日に回します。