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  66歳 日の記し /          ☆。(´・ω・`)/ 。゜★・ ☆彡

社会の底辺で生きて来て55歳で世間と断絶を決心してから独りです。寂しいのでブログを始めました。思うことなどを書きます……仏教を生きる指針にしているのでそれも。リンクを貼らせていただくサイトの方には感謝しています。m(_ _)m

「詩の作り方」を読む 2

2014-05-13 | 詩について
「現代詩の問題点」の章 まとめ

【現代詩はなぜ難解か】
 佐藤春夫が1959年に朝日新聞に書いたこのタイトルの文章を引用している。
そこで、佐藤は───
 詩観(詩の理論)の変化。
 詩は超常識的で、べつな次元を開くためのクイズみたいなもの。「よくわかる詩がいいわけでもなく、さればと言ってよくわからない詩がえらいわけでもあるまい。高遠で幽韻のある詩もわかりにくいが、でたらめでナンセンスな詩もわかりにくいのだから、わからぬものをえらいときめるのは、未開人だけである」と書く。
 ただ、発表されるものは、理解され共感されるのが詩人にとって本望かと思う。
 外国の詩を誤訳したまま移植されたのも多い。
 国語の歪曲がある。
 カタコト表現を目指しているとしたら、邪道だろう……あえて苦言を呈した。
───というのが佐藤春夫の文章の要約なのですが、黒田三郎も概ね賛同しています。「自分勝手でひとり合点だから、難解だという詩もけっして少なくありません」

【戦後詩の出発】
黒田三郎は戦後の詩の出発を、原民喜の「コレガ人間ナノデス」と峠三吉の「八月六日」においています。戦争の悲惨を直接的に訴えた詩です。
【一貫して生きた光太郎と達治】
 吉本隆明などは詩人の戦争責任を追求したのですが、高村光太郎岩手県の村外れの小屋に自身を幽閉し、「暗愚小伝」を発表しました。雪深い東北での生活は大変だったでしょう。(いまは記念館になっているので、ぼくも行ったことがあります)ただ、黒田三郎は光太郎の誠実さを感じつつも「暗愚」という自身の捉え方に違和感とはがゆさを感じたと書いています。
 三好達治の「さようなら日本」という詩が引用されています。戦後の風俗を歌ったものですが、黒田三郎は批判的に受け取ったようです。高村光太郎三好達治も戦争責任については言い訳をせず、批判を受けとめました。そこに黒田三郎は戦前、戦後と一貫した詩人の姿勢を見たといっています。
【敗戦直後の二〇歳代詩人】
 鮎川信夫の「死んだ男」が紹介されています。戦後、いろんな詩のグループが生まれました。「荒地」や「列島」です。そこに所属する若い詩人たちの名前があげられています。村野四郎の「黒い歌」が紹介されています。西脇順三郎が「旅人かえらず」を発表し、金子光晴が戦争中の反戦詩を出版しました。
【新たな革新の嵐の予感】
 戦後に育った二〇歳代、三〇歳代の詩人たちが登場してきました。
 鈴木志郎康の「壁の中」が紹介されています。
    男は壁にそって歩いていた
    壁は狂ほしかった
    壁には一本の割れ目があったので見ると
              ――(略)――
 前に書いたように鈴木志郎康は好きです。相性という言葉があります。詩の読者になるにも、初めての出会いとか相性が関係するように思うんです。あの、言語破壊的な70年代を過ぎて、いまも彼の詩集を手に取ることが多い。なんでしょうね。初期の頃と、言葉の使い方が全く違うんですが……底を流れるものが同じだからか。
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 これが「現代詩の問題点」のおおよその内容なのですが、詩を書く行為を、歴史的に俯瞰することも必要なんだな、と思いました。
 詩人たちの詩論、主張も、詩への捉え方も、大きな歴史の流れのなかにあります。
 黒田三郎の詩への捉え方は、あくまで等身大で自分から離れず、自分の目で確かめるように書いています。自分が見た範囲、知った範囲で書かれています。そこに、好感を持ちます。
 詩の歴史の章では、まだ、実作に役立ちそうなヒントは見つけられませんでした。
 正直に言って、この本が書かれた1969年は今から45年前です。だから、詩の歴史を書いている部分も69年の時点での認識と見るべきでしょう。古いからといって意味が無いわけではない、と思うのです。
 ちょうど鈴木志郎康の詩がレビューした頃、ぼくは、詩を、おもしろいと思い、読み始めたのです。言葉を自由に駆使するそこに、反抗と変革の世相と合うものを見出したのです。真似しても、ちゃんと書けませんでしたが……

 明日は「私の詩」の章をまとめます。