読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

  66歳 日の記し /          ☆。(´・ω・`)/ 。゜★・ ☆彡

社会の底辺で生きて来て55歳で世間と断絶を決心してから独りです。寂しいのでブログを始めました。思うことなどを書きます……仏教を生きる指針にしているのでそれも。リンクを貼らせていただくサイトの方には感謝しています。m(_ _)m

杉山平一『現代詩入門』を読む 10

【ユーモアは詩のエスプリである】

 この項を最後まで読んでみると、たんに詩のユーモアのことだけを書かれたのではないとわかります。
 杉山さんは、詩のなかで表現されているユーモアの本質とは何か、を考えておられるのです。


 それは、P167に書かれているように、
「ところが、人間を評するとき、人間的だ、といったり、彼も、やはり人間だなあ、と思ったりするのは、その人が立派な仕事をしたり、気高い面を見せたり、美しかったりするときではない。失敗したり、バカなことをしたりあわてたり泣いたりしたときに彼もやっぱり人間だったのかと、気付かされ我々は人間の面を見たと思う。へんなことをするものを人間という」

という認識からきているものなのです。

P172
「笑いを分析したベルグソンは、生命や生態や社交や常識は、なだらかになめらかに、淀みなくしなやかに動いているものなのに、そこにこわばったり機械的だったりするものがはさまると、人間は笑う。つまり笑いは、そんなものがはさまる不安を除去しようとする懲罰の信号であるという。
 懲罰だから、我々は、笑うのは好きだが、笑われるのは嫌である。笑われまいとするのは、叱られまいとする気持である」

P168
「ユーモリストの目は、つねに冷たく、知的で、意地悪でさえある。笑芸人の素顔がネクラであったり、獅子文六岩田豊雄)や、夏目漱石、内田百聞などのユーモア作家が、苦虫を噛みつぶしたような顔をしているのも、そのためであろう。
 醒めて見れば、なまの人間が見えるのですべては笑いになる」


P173
「笑いは、とんちんかん、ほら吹きなど、日常、常識の外れたところに起こるとすると、それは、常識日常はずれを詩と呼ぶ世界と同じである。重なってくる」





 この項で紹介された詩から短いものを選んでみました。



    美人

 むかしは
 きれいな人は
 若死にした

   ──(略)──
            (天野忠



   へび

 へびは
 名前を変えたらどうだ
 ロープみたいに
 ながーいんだから

    ──(略)──
            (川崎洋




   存在

 僕らが僕々言っている
 その僕とは 僕なのか
 僕がその僕なのか

   ──(略)──
            (山之口貘




 紹介された詩人たち──

 リンゲンナッツ「よく見れば」「Mに」
 天野忠「家庭」
 子供の詩──「おとな」
 西脇順三郎「六月の朝」
 中江俊夫「おやじ」
 有馬敲「会議」
 山之口貘「畳」「ねずみ」
 萩原朔太郎「蛙の死」
 足立巻一「中原」