読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

  66歳 日の記し /          ☆。(´・ω・`)/ 。゜★・ ☆彡

社会の底辺で生きて来て55歳で世間と断絶を決心してから独りです。寂しいのでブログを始めました。思うことなどを書きます……仏教を生きる指針にしているのでそれも。リンクを貼らせていただくサイトの方には感謝しています。m(_ _)m

杉山平一『現代詩入門』を読む 7

【詩は私が物にとけること】

 事物と一体となったときの幸せ━━━それは自分という自我を越えて、なにかに没入する快感なのでしょう。詩はその心地よい場所に読む者を導いてくれます。


 杉山さんは体験を語ります。
P104
「私が詩を書きはじめの二十代のころ、ある数週間、心が軟らかくなって、何を見ても感じやすくなったときがある。思春期の少女が、何にも、ビンビンと感じやすくなってすぐ涙ぐみたくなるのに似ていた。電信柱にさわると、電信柱のこころがわかるような気持になったり、石にさわると、石の気持ちがわかったりするようだった。
 その数週間、詩がいくつも書けた。いつも通っている橋の上に立って、川を見おろしていると、よく唾をおとしてみたり、小石を蹴ってみたりするのが、川と触れあいたい、手をつなぎたい、という気持なのだと、気づかされた。そして、ひとつ詩が出来た」

      橋の上

 橋の上にたって
 深い深い谷川を見おろす
 何か落としてみたくなる
 小石を蹴ると

    ──(略)──


 ここでは小石が水に落ちる音を通じて世界と繋がったわけです。他にどんな繋がり方があるのでしょうか。

P106
「触覚は、日常においても、伝達するのにもっとも強い感覚として、表現に用いられる」

P107
萩原朔太郎は、感覚でものごとをとらえたから、触覚を多用した」

 そのごむのごとき乳房もて
 あまりに強くわが胸を圧する勿れ
 また魚のごときゆびさきもて

    ──(略)──


 この項で杉山さんが引用された詩の作者をあげておきます。

 佐藤春夫「秋くさ」「少年の飛」
 谷口雅子「若もの」
 野長瀬正夫「あのひと」
 杉山平一「出合い」
 福永武彦「高みからの眺め」
 八木重吉「本当のもの」
 竹中郁「光の襤褸


 そして、その分析━━━
P114
「芸術作品に感動して、茫然自失、我を忘れ、肩を叩かれてふと我に返るのは、自分が対象の中へすっぽり入ってしまっていたからである。そのとき、対象の中に見るのは、そこに入り込んでいる自分である。感情移入美学では、鑑賞を、『客観化された自己享受』だという。
 これは、物に触れ、その物の生命と、己の生命とが一体になってふるえる感動の境地である。対象を愛する、対象に入り込むのが、対象を知る最高の方法である」


 西欧の作家たち━━━

 イヴァン・ゴル「馬来乙女マニヤナの歌える」
 ヘルマン・ヘッセ「恋の歌」

P117
「人が花になったり、葡萄酒になるのは別に、珍しくなく、もともと擬人法として、チューリップが喋ったり、狐が話したり、童話などでもっぱら使われている。子供はよく、物と人を同一視するが、それはやはり、知識や概念を持たないから、物の核心に入って行けるのである」

 木下夕爾「歌と翼」
 木下淳夫「風・光・木の葉」
 川崎洋「どうかして」
 吉野弘「生命は」
 加藤介春「野」
 田木繁「汽槌の下で」
 杉山平一「解決」


━━━擬人的に
 萩原朔太郎「鶏」
 草野心平「夜の海」「ごびらっふの独白」


━━━大きな存在を感じて
 室生犀星「すぐれた実在」
 尾崎喜八「秋」
 まど・みちお「ミカン」「馬の顔」
 北原白秋「薔薇二曲」
 


 物に魅入られ、物に没入するときに詩が生まれる、対象との一体感が詩の根拠であることがよくわかるのです。たくさんの詩が引用されているのも、作者によってその対象への近づき方が様々だからだろうと思います。