読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

  66歳 日の記し /          ☆。(´・ω・`)/ 。゜★・ ☆彡

社会の底辺で生きて来て55歳で世間と断絶を決心してから独りです。寂しいのでブログを始めました。思うことなどを書きます……仏教を生きる指針にしているのでそれも。リンクを貼らせていただくサイトの方には感謝しています。m(_ _)m

杉山平一『現代詩入門』を読む 5

【誇張せよ】

P68
「対比を鮮やかに際立てるためには、それぞれをどぎつく誇張させねばならない。もともと、詩が日常から超えたものであるためには、常識を超えた誇張が必要である。いや、誇張は、詩とは切っても切り離せない関係にある」
 この杉山さんの言葉に何の説明も必要ないでしょう。そのまま詩の在り方を示しているといえます。

 普通でそのままで見過ごすならつまらないことでしかない、というところを、詩は拾い上げます。自分の感情に訴えかけてきたものを見過ごしません。もやもやした気持ちを、合理化して、常識の枠に閉じ込めません。なぜなのか、と声を上げます、それが現実を歪め、誇張された表現になります。誇張は、詩だ、と杉山さんはいいます。

 この項では、多くの詩が紹介されます。

   
             ジャック・プレヴェール
 何千年あったって
 語りつくせるものではない
 おまえがわたしを抱き
 わたしがおまえを抱いた
 あの永遠のほんの一瞬間は

   ──(略)──

 高橋新吉の「るす」 
 竹中郁「足どり」

P73 
強い命令や否定は日常のぬるま湯をピリッとさせる」

 田中克己「死者に敬礼せよ」
 中野重治「歌」
 小熊秀雄「馬車の出発の歌」

P76
怒りではなく、たとえば喜びの感動によっても、釣った魚が大きく思えるのと同様に、大げさになる」

 室生犀星「泥雀の歌」

P77
「──世界が美しいと思うのは、その感情の昂った誇張によって、物を詩にしてしまうからである」

 千家元麿「見知らぬもの」
 高田敏子「しあわせ」
 多田智満子「死んだ太陽」

 新川和江「火へのオード」
 井上靖「淵」


       (短歌も紹介しておられるのですが、詩だけを並べてみました)



 テクニックとしての誇張ではなく「誇張して表現せざるを得ない切実性」が詩の命なのだ、と思います。