日の記し ★ヾ(´・ω・`)ノ.: 。☆彡 ・☆

社会の底辺で生きてきて68歳になりました。貧困や社会保障から落ちこぼれる人のために、社会が動いてくれたらいいのですが……いつも、自己中で理不尽なヤクザな強者が勝ちます。それが世の習いでしょうか? 〈自分を救うのは何か〉考えています。ネガティブなものも肯定する視点を持ちたい。いまはブログがあるので寂しくありません。訪問してくださる人に感謝しています。ありがとうございます。コメントをいただいたときは、その方のブログのコメント欄にお返事しますね。

杉山平一『現代詩入門』を読む 4

【詩はモンタージュである】

 杉山さんは言います。「私は若いころ詩を書く友人にめぐまれていたが、詩はよく判らず、気狂いじみた怪しげなことが書かれているので、近づかないほうがいいと思って、敬遠していた。むしろ、映画に惹かれ、映画芸術論、とくにモンタージュ論に心しばわれていた」

 その杉山さんがどうして詩を書くようになったのでしょうか?

 ある時、「詩と詩論」という雑誌に津村信夫という人のが書いた詩が載っているのを見たというのです。

     小扇
           かってはミルキィ・ウエィと呼ばれし少女に
 指呼すれば国境は一すぢの白い流れ
 高原を走る夏期電車の窓で
 貴方は小さな扇をひらいた


という詩です。
「その時、感得したのは、このハイカラな道具立ての最後の、窓で扇をさっとひらいたモンタージュのような連結の効果である。意外なカット(ショット)をつなげる映画の面白さと同じである。こういう面白さなら、私にも判る。これが詩なら、私にも詩が書けるかもしれない、とおもった」

「詩というのは、行と行が、映画モンタージュのように、軽く衝突して、ショックを起こして、つながって行く面白さなのだと理解した」


 そして「映画モンタージュというのは……」とモンタージュ論の説明をされているのですが━━━

 詩における映像の流れを、モンタージュ理論によって理解されたのです。それが詩においては、言葉による対比の効果や、暗喩や隠喩によってひき起こされ、つながって、流れになっているのだとわかった、と書かれています。
 そこに、詩の面白さがある、と。

P67
「──説明を省いて飛躍すると、詩になるらしい」
 説明つきのアダ名などは面白くもなんともあるまい、とも書かれています。


 ここでわかったことは、詩というのは、発見とか気づきとかいわれますが、常識からの飛躍といえる、ということです。