日の記し   ★ヾ(´・ω・`)ノ.: 。・☆彡 ・☆

底辺で生きてきて67歳になりますが、そこから見える風景や、読んだ本のまとめや、検索してわかったことなどを書きます。生きることは辛いですが、何をしても生きていけると思うのです。仏教を生きる支えにしているので、そのことも書きたいです。リンクを貼らせていただくサイトの方々に感謝しています。

杉山平一『現代詩入門』を読む──「詩の魅惑と陶酔」の章

【詩とはアダ名をつけること】

 
 詩の世界に入っていくための始め──P31

「もともと、詩は、言葉のおしゃれであり、世界のすべての物やこころに対して、アダ名をつける精神である。洒落の程度の低いものを駄洒落というが、言葉の意味をとりちがえる同音異義などは、言葉の正当を外すことで、純粋な詩的表現の一つといえる。語句を文脈にひろげるもじりも同様に、大切な詩的表現である」


 杉山平一さんは詩の表現に価値の上下を持ち込まないようです。駄洒落も十分に相手を和ませる詩的表現として捉える。


 たぶん、ぼくらは物や心に直接対峙することに戸惑いを感じたりする。それを和らげ共感に高めるのが詩の効用だ、といわれているようなのです。ここに杉山平一さんの詩に対する態度があります。


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 その後、多くの例をひいておられます。


P41
「観念化した言葉を、具体的な動作や物にいい替えて、甦らせるのが詩というものといえよう」


 そして自作の詩──

 行く道はつぎつぎふさがり
 僕の胸は黒い石炭でいっぱいだ

 けれども燃えるぞ
 いまに声あげて燃えるぞ



「石炭ストーブにいい替えて、気持ちの行き詰まりを黒い石炭の詰まってくすぶる憂鬱感になぞらえ、それがやがてものすごく燃え出すときのゴーゴーという唸り声に展開させる。気持ちを石炭に託したのである」と解説されています。



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 比喩。
 言い換え。

 日常、常識から離れたものが、詩的な表現になっていく。