日の記し   ★ヾ(´・ω・`)ノ.: 。・☆彡 ・☆

底辺で生きてきて67歳になりました。そこから見える風景や、読んだ本のまとめや、検索してわかったことなどを書きます。生きることは辛いですが、何をしても生きていけると思うのです。仏教を生きる支えにしているので、そのことも書きたいです。リンクを貼らせていただくサイトの方々に感謝しています。

再び、詩の定義から

 再び、中桐雅夫さんの『詩の読みかた 詩の作りかた』(晶文社 1980.3初版)の━━━詩の定義が述べられている所から━━━


「詩とは……他のやりかたでは、どうしてもいうことができないことをいうための、ことばの用い方である、詩のなかに生まれ出る(あるいは再生する)までは、ある意味では存在していないものをいうための、ことばの用い方である」(C・D・ルイス)

という説明に納得するものがあった。
「詩でなきゃだめなんだ」ということ。

 多くの恋愛とかあっても、「あなたとの恋愛でなきゃだめなんだ」と思うように、この詩でなきゃ、この表現でないとだめだ、というところまでいくということ。

「こう表現することで、完全に伝えられた」と思えるということ。


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 こういう完全性や純粋性を求める、ってことが、詩を読み書きする世界にはあります。
 それはいいことなのですが……

 完璧すぎてかえって読者を遠ざけることにならないか。

 詩を読んだり書いたりすることを、難しくし過ぎている。


 
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 人生に、正解を求めることと一緒です。

 詩は(僕の気持ちですが)、正しい答えとか、純粋な──なんとかとは違うものじゃないか。


 そりゃ、言葉ではぐらかす、知性で圧倒する、なんてことは、詩の目的ではないのですが、おうおうにして、読んでくれる人よりも高い目線で書かれてしまう、そんなことが多いのでは……




 詩は、遊びであっていい。
 俗悪なものであっていい。
 そう思うんです。

 心の等身大、の視点で。