日の記し   ★ヾ(´・ω・`)ノ.: 。・☆彡 ・☆

底辺で生きてきて67歳になりますが、そこから見える風景や、読んだ本のまとめや、検索してわかったことなどを書きます。生きることは辛いですが、何をしても生きていけると思うのです。仏教を生きる支えにしているので、そのことも書きたいです。リンクを貼らせていただくサイトの方々に感謝しています。

難解詩 3

 このブログは、井戸端で立ち話しているみたいに、のんびりとやっていきたい。あまり、有意義でないかも……

 基本的に、詩を書くことへの憧れみたいなのがあって、それで、どうやって書けばいいのか、みたいな気持ちがある。なにもわかってないなあ、と思ったりする。
 だから、始めたんです、このように毎日、詩について思うブログを書くことで、習慣化したり、詩を書くきっかけになったりするだろうと。

 ぼくは、まったくの素人なので、こちらにぶつかったり、あちらにぶつかったりして、なんか気づけばいいな、と。


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 それで、一昨日から、読むのに難解な詩について考えているのでした。「読むのに」っていったけれど、その通りで、書いている作者の方は、わかって、難解に見えるイメージとか、表現とか、採用しているんだ、と思うんです。

 読者だけが、難解だ、と思っているのかもしれない。作者は、読者に理解されるよりも、自己が持っているイメージとか作り出す印象とかにこだわっているんだろう。

 ある意味、潔い。

 読者に媚びるよりも(理解してほしいという気持ちのことです)、ひとり立つ、という心構えなのか。


 そういう詩って、あるように思う。



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 ぼくは1950年生まれで、もう古い話になるんだけれど……


 1970年~20代の頃だけれど、鈴木志郎康さんの詩集『詩集家庭教訓劇怨恨猥雑篇』を本屋さんで買って、ひとり四畳半のアパートの部屋で熱狂しながら読んで、感動したのです。「詩って、こんなことができるんだ~」と。

 それから、それまで書かれていたプアプア詩に憧れて、同じように書きたいと思ったけれどできなかった。



 詩がおもしろい、ということを知った、始めの頃です。



 ぜんぜん難解じゃなかったし、空想のドラマみたいでおもしろかった。ユーモアとハチャメチャな飛躍。

 いまでも憧れです。とても真似ができるようなレベルに達しないのですが。


 その時代の、閉塞感とか、熱狂とか、あるかもしれません。その時代の雰囲気とか。






 難解って言葉から、思い出したので……