日の記し ★ヾ(´・ω・`)ノ.: 。☆彡 ・☆

社会の底辺で生きてきて68歳になりました。後悔ばかりの人生でしたが、それもしかたがないことです。〈初期仏教〉を信じているので、なんとか暮らしています。訪問していただいて感謝しています。ありがとう。<m(__)m>

『風の記憶』を読む

 おはようございます。

 西日本豪雨で亡くなられた方にお悔やみ申し上げます。被災された方、がんばってください。お祈りいたします。

 山崩れは怖ろしい。川の氾濫もすさまじい。日本は災害に備えているはずなのに、どうしてこんなに被害が大きくなったのでしょう。堤防の決壊が多すぎます。もっと考えなければならないでしょう。

  何もできませんが、お祈りします。 

 

 

            *            *

 

 

  この本を読みました。

風の記憶―ヒマラヤの谷に生きる人々

風の記憶―ヒマラヤの谷に生きる人々

 

 著者はこんな人です。

プロフィール|貞兼綾子|ローチケ×HMV&BOOKS online

 

 目次を利用してまとめていきます。

 

            *            *

 

 目次の前にヒマラヤの写真が15枚とチベットネパールの地図が載っています。それでよりわかりやすく身近になっています。

 

はじめに――序にかえて

  • 初めてランタン谷を訪ねたのは1975年だった。
  • ヒマラヤに住む――チベットの仏教や文化の影響を受けた人たち。
  • P7には部族名(グループ)が載っています。15部族です。
  • この人たちは、チベットの政変やネパールの政治に左右され、ネパールのカースト制に組み込まれる形で存在してきた。
  • 歴史的にはチベット仏教なのだが……現在は大分変わってきている。

プロローグ

(「第二章 豊饒の谷」から ゲニェン・レールはわしの声を聞き分ける)の歌

序章 空駆けるヒーローたち

1 パドマサンバヴァ

 八世紀半ば、ヒマラヤを超える二人のインド人仏教者があった。一人は、学識の高さでインド仏教界随一と目されたナーランダ僧院の長老シャーンタラクシタ。いま一人は修行者の風体をしたパドマサンバヴァ、後にチベットで、グルー・リンポチェ、あるいは、ペーマ・ジュンネーと呼ばれる密教行者であった。(P21)

 【ポン教 vs 仏教

  • 当時、チベット中央アジアへの版図を拡大していた。
  • チベット王はまとまるためには「精神的な支柱を作らねばならない」と考えていた。それで全土に使者を送って宗教コンテストへの参加を呼びかけた。
  • ポン教と仏教(パドマサンバヴァ)の、魔術の応酬の対決が行われた。
  • もうひとつ、中国禅との論争に勝利しなければならなかった。794年に仏教が国教になった。

仕切り直しのチベット仏教

  • 敦煌を経由して入ってきた中国禅との論争は「サムイェの宗論」(794年)と呼ばれる。中観思想と如来蔵思想との対立である。
  • 人には本来仏性が備わっているという如来蔵思想は民衆や女性に人気だった。
  • 中観思想は後にニンマ派の礎になる。

一世紀もの間低迷した仏教の流れは、新たにインドから招いたアティーシャ(982~1054)によって生命を吹き込まれ、カギュ派(11世紀)、サキャ派(11世紀)、そしてダライラマ政権を担うゲルク派(15世紀)の出現へと展開していった。(P30)

チベット仏教

    リンク先にはそれぞれの宗派が出来た経緯が書かれています。

 

埋蔵経典とテルトン――ヒマラヤ進出のキーワード

 

2 ミラレーパ

ミラレーパの系譜

カギュ派

 ミラレーパの師はカギュ派のマルパ。P38には4大カギュ派とさらに、パグモドゥ派から生まれた8つの分派の名前が載っています。(同じ宗派のなかでも分派ができていくということは、よくあることです)

聖山カーン・チィセ

 西チベット、マパム湖の横にある聖なる山。

 ミラレーパとポン教徒のナロ・ポンチュンが聖山一帯の修行地の権利を巡って呪術のパワーコンテストを行ったという伝承がある。ポン教は破れ、そこには仏教徒の寺や祠が建てられて巡礼者の信仰の対象となっている。

 一章 大河の源流域をめざして

 ここからは紀行記になっています。体験したことが書かれているので、それがいい。チベットの雰囲気が味わえる。

1 ワルンの旅から始まった

  • ここに来るまでカースト制のせいで、たいていは家に入れてもらえず軒下を借りて一夜の夜露をしのいでいた。が、ここでは暖かく迎え入れてくれた。
  • ここはチベットやネパールとインドの交易の中継の宿場だった。言葉がすごく丁寧。いまは寂れている様子だが……。それでもかっての交易と牧畜の資産があるので、他の部落と比べて経済的には裕福だ。

隠された鹿ノ谷

  • こういう村や谷には「動物がこの地を発見した」という伝承がある。
  • ワルンの寺のこと。

2 カンチェンヅーガ山系をめぐる言い伝え

  • 谷の様子。村の風景。
  • ここに仏教がもたらされた経緯が考察されている。

3 シャルパブック

  • シェルパについて書かれたものは多い。だが、シェルパ族の来歴やその社会についての調査報告はあまりない。
  • 30年前に、修行中の二人のアメリカ人に会った思い出が語られる。男性は洞窟で五体投地を繰り返し、女性は僧院で修行し経典を読んでいた……

サンギェ・テンジン・ラマ

  • 『シャルパブック』の著者の解説。
  • 内容は「チョモランマ山系に住まうシャルパ、サンギェ・テンジンの略伝」「シャルパ宗教史、無上の一刻」「シャルパ族譜」である。
  • この本には、中国共産党チベットへ侵攻した描写がある。

シャルパラマの東チベット遊学

 19世紀から20世紀初頭に、リメーバ運動というのがあった。

 リメーバたちは、非宗派(リメー)という宗派の教義や体制に関わりなく宗派の優れた点を吸収し、宗派を超えた親交によってこの国の知的システムを問い直し、再合成し、新しい文芸を掘り起こすという画期的な運動を展開した。(P71)

 リメーバ運動の旗手たち――『テルトン百家伝』のコントゥル=ユンテン・ギャツォ・ロトゥタエィ(1813~99)など……

 

 1717年から20年、ダライラマ擁立にからむジュンガル軍の反乱によって、ニンマ派やポン教は手痛い迫害を受けた。(P75)

 そういう主導権争いも、リメーバ運動が起こる原因になった。

『シャルパ宗教史』

  • ニンマ派の教えがどのようにもたらされたのか。その詳細な記述。P77~80

地方出身のラマ

  • 『シャルパ宗教史』には、地方出身のチベット巡礼者が、デプン寺の執事から拝観を断られ追い出された話も書かれている。
  • シャルパ族にどのように仏教が入ったのか、どのように信仰されてきたか……

『シャルパ族譜』

 この族譜の内容の紹介は詳細です。シャルパはどのような来歴を持っているか。P85~93

  • 「ネパールの、ヒマラヤの観光産業を担ってきたのはシャルパたちといってもいいだろう」

 ソル=クンプはネパール=ヒマラヤの観光開発の最前線にある。開発と伝統、周辺のチベットビルマ語系のグループとの共存、外からの圧力に対し、どのように彼らの美しい自然環境と生活空間を守り、維持していくのだろうか。ネパール=ヒマラヤ全域に共通の課題でもある。(P93)

 

             *            * 

 

 と、ここまで目次に沿ってまとめてきたのですが、あまりに長くなってしまうので止めます。効率的じゃないので。

 

 この本で著者の体験した紀行記的な文章と、研究してきた学術な文章とが混在する、そんな形で書かれているのです。

  後は大雑把にまとめます。

 2章以下の目次はこうです。 

二章 豊饒の谷

1 秘密の谷「ナムゴダカム」

2 同時代の仏教者たち

   ドゥッパ・カギュ派

   ニンマ派

3 ゲニェン・レールはわしの声を聞き分ける

   成就の岩屋、その夜のできごと

   精霊たちの谷

   はじめにポンポありき

   精霊たちの仏教パンテオンへの変身もしくは昇格

   ヤンドルの娘のこと

三章 高原台地へ

1 左纏の巡礼者

   十年後の再会

   ポムチョー

   高地ドルポの灌漑

2 ドルポの祝祭

   海外渡航組が狙う布教の世相

   サキャ・ンゴル派

   カギュ派

   ニンマ派

   ペッチュの父とスネルグローヴ

3 西チベットとポン教

   ヤンギェーパ、少年の系譜

四章 カルナリ河に沿って

1 ムグムへの道

2 ニュアンタンの谷で

   ユンツォのチチは三人

   ナンマ家のソナムが語る夫たちのこと

3 カーサ王国

エピローグ

おわりに

  

            *            *

 

  第二章は、1704年、ミンギュル・ドルジェがランタン谷にたどり着く場面から始まります。彼が残した書のなかにこの谷が「秘密の谷」であったと書かれていたのです。

 当時、テルトンやニンマ派はヒマラヤに「秘密の谷」を求めた……(P104)つまり修行に最適な場所なのです。

 さて、十七世紀のニンマ派に戻ろう。ミンギュル・ドルジェ以前にランタン谷を訪れたニンマ派は、前述のシノン・ドルジェともう一人、中央ネパールの西北端ヌプリ地方クタン出身のガルワン・ドルジェ(1640~85)がいる。通称ンガリ・テルトン。手許の資料の中で、『秘密の谷ナムゴダカムへの道案内書』の著者を除いて、最初にナムゴダカムへの門に近付いたと思われる人物。数々の埋蔵経典の発見で知られるテルトンの一人だ。ランタン谷へのアプローチの様子を伝記の中で次のように述べている。(P116)

 その後にその文章の引用が続きます。そうすることで過去と現代がつながります。かっての宗教の様子描かれます。

 

 ヒマラヤは精霊が住む場所。そしてそれを祀る祭りがある。儀式と踊りがある。

 自然霊がひしめき合う谷には、もう一つの生物の霊も存在する。怨霊とも死霊とも呼ばれる。人や家畜の死せる魂の活動だ。これらにも重要な役割が与えられている。(P143)

 

  そして著者がかって見聞きした(怨霊が取り付いた男の話)が書かれます。

 ヒマラヤのような自然のなかに住んでいれば、人間と動物、霊との距離がすごく短い。

 神様がついたり、狐が憑いたりすることは、日本でもかっては普通の出来事としてありました。そういうことを思い出させてくれました。

 P146にその霊と対話する様子が書かれているのですが、恐山のイタコのようなすこしユーモラスな会話をしています。ここでは人の都合と、霊との取引が自然に行われているようです。

 

 第三章は高地ドルポへの旅が描かれています。

 この地ではポン教と仏教が共存しています。

 二度目の旅なので、かっての少年と再会したり(もう結婚していた)、土間や軒先を借りて寝袋で寝た記憶が蘇ってくる。いっしょに旅をして料理を担当してくれたソナムのことも思い出します。P160にはこの土地で歌われる恋愛歌の歌詞も載っています。

 

 今、高地ドルポでは宗教復興とも呼べそうな勢いでニンマ派が台頭しつつある。もともとニンマ派とは縁のない土地であったのが、ここ半世紀の間に徐々に浸透し、現在では、古来より受け継がれたポン教を別にすれば、高地ドルポは新興のニンマ派一色に塗り替えられたといっても過言ではないほどだ。(P178)

 

  カトマンドゥの大寺院の建立、チベット仏経とたちの台湾渡航、さらにいえば欧米でのチベット仏教ブームなど、チベット仏教は今やチベット人を支える信仰の枠を越えて、外国の信徒たちに支えられている感がある。(P181)

 

 

サキャ・ンゴル派

カギュ派

ニンマ派

ペッチュの父とスネルグローヴ

  の項目は、いまのチベット仏教の動向のレポートになっています。

 

  

            *            *

 

「おわりに」にも書かれてあるのですが、現在、ネパールの政情は安定しているとは言えません。  

外務省: わかる!国際情勢 ネパールの民主化・平和構築プロセス 

  民主化を目指しているのはわかるのですが、最貧国の矛盾があります。中国の影響も強い。

ネパールの大地震が政情の不安定化をもたらす不安~日本は復興への支援を!(児玉克哉) - 個人 - Yahoo!ニュース

 

 この本を読んで「ヒマラヤ、ネパールはいいな……」と再確認しました。

 宗教事情やヒマラヤの風俗も知ることが出来ました。タイトルの通り、ヒマラヤの風が吹いているようです。

 

 

 

 

  …………      …………      …………      …………

 

     読んでいただいてありがとうございました。 

     誰もが穏やかで、幸せでありますように。